初めて自分の顔を鏡で見たとき、なんて間の抜けたブサイクだろうと思いました。
それからの人生でも度々、特にゲームの画面が暗転するたびに、ものすごいクリーチャーが画面に映って、うぉいきなりラスボスかと思ったら自分の顔かよテヘペロ的な事ばかりだったのです。
私は中高大とずっと男子校でした。
いえ、正確には大学は一応共学ではあったものの、工学部のためクラスに女子など一握りで1割もおらず、しかも女なんてずるいから授業なんてほとんど出ないんですよ。存在しないに等しい。
連中は授業なんて受けなくても、定期試験の前に学食をウロウロしてイケてそうな男に声をかければ過去問を簡単にゲットできるので授業なんて出る必要ないし、ましてやいつも一番前の席でまじめに授業を受けるようなガリ勉野郎なんかに声をかけるほどの好奇心もなかったのです。
一方、クソ真面目な私は、というかぼっちな私は過去問など手に入れるすべもなく、学生はみな過去問をやってるというのを前提で教授が作った問題を解くというエンドコンテンツに挑んでは砕け散っていたのです。
でもまあそれは本題じゃないので、女叩きはこの辺で。
何が言いたかったかというと、一般的男子であれば多感で希望と股間が膨らむ青春時期に、私は男だらけのつまらない灰色の檻の中で過ごしたというわけです。
顔さえイケメンなら街を歩いてるだけで女の子が駆け寄ってきてサインや握手を求められたり、ラブ手紙を押しつけられたり、何が混入しているか分からない手作りの茶色い甘い物体を毎年2月の中旬に贈与されたりしたのでしょうが、そんなイベントももちろんなく。
圧倒的な恋愛弱者として永らく君臨し続けてきたのです。
そんなモテない私がどういう方向に走ってしまったかというと、まあ、つまるところ、オタク趣味なわけです。
それも一通りなめましたね、アニメオタク、パソコンオタク、鉄道オタク、他色々。オタクの百貨店ですよ。フルスタックオタク。
オタクなんて言葉が生まれる前からオタクだった。
学生時代、男としてはもちろん年相応に女の子と遊びたいとかそういう気持ちはあったのですが、現実ではとうてい実現できない。
なので、ブラウン管の向こうだなんて関係無い、アニメの女の子はみな平等に等しく私に微笑んでくれるんだぜヒャッホーと夢中にならないハズがなかった。
彼女らが微笑んでる相手は本当は私じゃなくてアニメの主人公なんだと気がつくまでには、とても長い時間を要したのです。ブラウン管がいつの間にか液晶パネルになってたくらいには。
とかやってたら、20代が終わり、30代も終わろうとしていた。
友人、いや知人か、当たり前のように彼らはみな彼女を作ってデートして結婚して家庭を持って子供までこさえて、一方、未だに実家で親の飯を食っているのは私くらいになった。
昔ならこのまま行くと孤独な人生だなぁで片付けられたのでしょうが、そんな概念はオタクな私には通用しなかった。
この情報化社会、自分がジジイになる頃はアバターとかで年齢関係なく仮想空間で誰とでもコミュニケーションを取れる時代がきっとくる、孤独なんて言葉は広辞苑から消えるんだ! そう自分に言い聞かせてたのです。
いよいよ40歳になると、まあね、親がそりゃ心配するよね。
この子は本当に結婚できないのかと。
呪文のように毎日、あんたにもいい人がいればねえとぼやかれたら、さすがにちょっと親不孝してるのかなと思わなくもないわけで、こう考えたわけです。
結婚なんて無理無理カタツムリ! でも死ぬ間際に病院で看護師さんに
「おじいちゃんはなんで結婚しなかったんですか?」
とか聞かれて言葉に詰まるような事にはなりたくない。
なので、年相応に婚活なるものをしてみることにしたのです。